2014年4月18日金曜日

飲みニケーションとソーシャルキャピタル



4月から新生活が始まり、各所でお花見や歓迎会が開催されるシーズンになりました。
私たちの会社でも、年に4回、公式のレクリエーションを実施しています。

春はお花見
夏はビアガーデン
秋は社員旅行
冬は忘年会

と、季節を楽しみながら、部門を超えた交流をすることを大事にしています。

しかし一方で、宴会の席で親睦を深める「飲みニケーション」は、やや古い印象を持たれている方も多いのではないかと思います。
飲んで上司と部下の関係を縮めるという方法は、若者からだけでもなく、上に立つ立場からしても、必ずしも積極的にやりたいものではないかもしれません。

しかし、本当にそう決めつけてもいいものなのでしょうか?

私たちの会社の名前にもあり、日頃大切にしている言葉の中に「ソーシャルキャピタル」(=社会関係資本)というものがあります。
厚生労働省の定義ではこれを、

“人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率性を高めることのできる「信頼」「規範」「ネットワーク」といった社会組織の特徴”

と説明しています。
つまり人と人がつながり、信頼しあい、規範を守ることが、社会の効率性や成果に結びつくというものです。

この言葉は「ヒューマンキャピタル」(=人的資本)とは分けて考えられます。
個人の力を伸ばし発揮することが、会社のような組織にとっては大切なものとしつつも、その人たちが関係しあうことこそが、さらなる力を発揮するということです。

会社ではそれぞれのチーム、個人での役割をもって、日々一生懸命働いています。
しかし、例えばこのようなインフォーマルな交流を通して、普段会話をしない人たちが話をし、お互いを分かり合うことによって、フォーマルな場でも新しいアイデアを生み出したり、困った時に助け合ったりすることができる経験、ありませんか。

飲みすぎには注意ですが、「飲みニケーション」もあながち悪くないものではないでしょうか?

つながりを生み出す大切さを、このような場所を通して感じながら、それぞれの仕事にも生かしていきたいと思います。


2014年4月11日金曜日

時速300㎞で動く組織


最近、新卒採用の仕事で新幹線で東京と大阪を行き来する日々。
ふと振り返ると、実は今年は、東海道新幹線の開業からちょうど50周年。

今でこそ東京⇔新大阪間を約2時間30分で結んではいますが、開業当時は新幹線と言えども、実に4時間も掛かっていたようです。
ここで改めて考えてみたいのですが、新幹線は何で速いか、皆さんご存知でしょうか。

例えば、線路の幅が広い、線路が直線である、車体が流線型であるなど、色々ありますが、一番の理由は、全ての車両にモーターが付いているということです。

寝台特急や貨物列車などは、機関車に客車や貨車が引っ張られて動きます。
しかし新幹線は、全ての車体に動力モーターがついています。
それぞれの車体のモーターが、状況に応じてバランスよく動くことで、時速250キロを超えるスピードを出し、安定的にその状態を維持することが出来るのです。

みなさんは「新幹線理論」というのをご存知でしょうか。
動力を一つに集中させずに、それを各車両に分散させることで、加速度やスピードを増すことが出来るというもので、組織論を語る際に時々使われる言葉です。

かつての組織は、寝台特急や貨物列車のように、目的地に向かって機関車のような役割の人が、客車や貨車(組織や社員)を強く引っ張るというイメージでした。

もちろん現代もこのような役割が求められる時代ではありますが、同時にスピードも求められる時代。
激変する環境の中で、組織で動く人一人一人がただ引っ張られる、ついていくだけではなく、一人一人が新幹線のように動力モーターになることが求められています。

目的地に向かって、全員が動力モーターを回転させることで、スピード感を維持しながらも、安定的に且つ確実に仕事やプロジェクトを前へ前へと推進し、スピードと品質の両方を高いレベルで維持することが出来るのではないかと思います。

私たちの会社の行動指針でも、
スピードと品質を高いレベルで両立させながら仕事をしていくことを謳っています。
日々、仕事のシーンでは一人一人が新幹線をイメージしながら、スピード感を持ちながらも高品質な仕事をしたいと思っています。

とはいえ、旅行などでは時々はのんびり各駅停車の旅をしたり、寝台列車に揺られながら雰囲気を味わうことは、それはそれで大切。
普段では目にしないような光景を目にすることも、とても大切なことですね。
(かく言う私も、未だ寝台列車に乗った経験はありませんが…。)


2014年4月3日木曜日

あてずっぽうのよしあし


私は通勤時間が長く、郊外からオフィスまで一時間以上、電車に乗っています。
郊外と都心を結ぶ路線で混雑しているので、最初のころは、なかなか座ることはできませんでした。
顔を知っている乗客が座っている場合は、その乗客の前に立って、下車するのを待つこともできますが、顔を覚えている乗客が必ずしも同じ時刻の同じ車両に乗っているとは限らないので、こういうときは「あてずっぽう」で顔を知らない人の前に立ち、下車を待ちます。

「あてずっぽう」とはいえ、おそらく何らかの判断基準はあるのでしょう。
例えば、カジュアルな格好をしている人は都心までは乗らないだろうな、とか
落ち着かない素振りをしていると、もうじき下車かな、といった程度のものです。
しかし、これが意外にも当たることが多く、最近は、私はかなりの確率で座って通勤できています。

人は、何か難しいことに対して、限られた情報と短い時間の中で判断しなければならないときに、その判断が必ずしも正しくなくても、それなりの出来で素早い判断ができます。
おそらく「あてずっぽう」は、その昔、我々の祖先が、周りのちょっとした変化を察知して、身の危険を感じて素早く逃げるために、あるいは生存競争のライバルを出し抜いて、いち早く獲物を獲得するために、発達した能力なのではないでしょうか。

普段の生活は判断の連続です。
例えば、道を歩いていて車がくれば、危ないからどけようか、そのまま歩いていこうか、また、ランチで定食を食べるとき、おかずから手をつけるか味噌汁からか、などなど、いちいち一生懸命考えて判断していては大変です。
「あてずっぽう」は、短い間にそれなりの出来で判断する、という点では大変便利な能力ですから、無意識のうちに、あらゆる場面で動いているのではないかと思います。

ただ「あてずっぽう」には欠点があります。 
それは、自分の限られた経験や知識、考え、目の前で見えている範囲の状況などから判断するので、時として大きな「偏り」が出てしまい、過ちを犯してしまうのではないか、ということです。

人と人との瞬間的な関係の中でも、人に対する「あてずっぽう」が動いているように思えます。 
初対面の人と話をしているうちに、何か苦手意識を感じたり、ちょっとした言葉遣いや、話の内容から、誤解が始まったりするのも、もしかすると、人に対する「あてずっぽうの偏り」による悪戯なのかもしれません。
(相手も同じように「あてずっぽう」が動いているかもしれません)

所謂、これは、「思い込み」や「偏見」といわれていることです。
もともと「思い込み」「偏見」も、普段の生活の中で意識せずに使っている「あてずっぽう」が起因するものでしょうから、その判断は自分としては当たり前の結論なので、過ちを意識するのは大変かもしれません。

私たち人事の仕事の中では、面接をすることもありますし、面接官の研修をすることもあります。
その時に大切にしているのは、できるだけ「あてずっぽう」を排除して、客観的な判断を行えるスキルを身につけるということです。
もちろん、企業によっては、あえて面接官の主観に任せているところもありますが、それによって大切な人材を見逃すリスクもあることに注意しなくてはなりません。

人との関係の中で、何か様子がおかしいな、と思ったら、自分の人に対する「あてずっぽう」を疑ってみて、「あてずっぽう」に頼らないコミュニケーションによる確認が必要なのでしょう。
「あてずっぽう」は便利な能力ですので、否定するつもりはありませんが、特に人と人の関係では、誤解や無意味は衝突を避けるためにも、人に対する「あてずっぽう」の自分の癖は知っておいたほうが良いかもしれません。