昨年の秋から痛めていた膝を手術で治療しました。
今回の手術は根本的な治療と言うよりも対処療法なので、また膝を痛めることが考えられます。
膝の負担を減らすために、まずは、少し増えてしまった体重を減らす必要があります。
体重を減らすには、1)摂取するカロリーを減らす、2)消費するカロリーを増やす、のどちらか、または両方を行う必要がありますが、膝を痛めている私としては、2)の選択肢を取るのが難しく、まずは摂取カロリーを如何に減らすかが問題となります。
当然ですが、「摂取カロリー」<「消費カロリー」にすれば自ずと体重は減っていきます。
皆さんもご存じだと思いますが、人間には基礎代謝、つまり何もしなくても生きていくだけで消費されるカロリーがあります。
私の年齢と体重、身長から割り出される基礎代謝の消費カロリーは約1600Kcalです。
運動できず、通勤と仕事が大きな消費カロリーの元になる今の私としては、おそらく2000Kcalを下回る摂取カロリーにしないとダイエットは成功しません。
当面、日々の摂取カロリーを気にする毎日です。
さて、カロリーを気にしていたら、最近あることに気付きました。
それは、「カロリー・運動」と「知識・行動」の関係です。
体に摂取されたカロリーは、基礎代謝として生きるための最低限のエネルギーとして消費され、さらに運動を通して健全な肉体(例えば強靭な筋肉)を創り上げる糧として消費されます。
適度な運動が伴わないと、過剰のカロリーは脂肪として体内に蓄積され、時としては肥満や糖尿病などの、健康を害する原因のひとつになってしまいます。
もしかしたら、我々が外から得る知識にも、似たようなところがあるのかもしれません。
人は生きるために、必要な知識を吸収する必要があります。
それは刻一刻と変化する周囲の状況に、自分を適応するための知識ではないかと思います。
例えば、この4月にあった増税のように社会のルールが変わったときに身に付ける知識であったり、会社に新しいコピー機が導入されたときに使いこなすための知識だったりするかもしれません。
最低限社会生活が送れる知識、おそらくカロリー消費であれば基礎代謝に相当する知識なのでしょう。
しかし、それでは「生きている」だけであって、成長していることにはならないと思います。
成長のために必要な知識を積極的に獲得する必要があるのでしょう。
ただ、摂取カロリーと運動の関係のように、獲得した知識は、それを試したり、行動に反映しない限り、成長の糧にはならないのではないかと思います。
せっかく獲得した知識も、使わずに単に貯めておくだけであれば、単なる物知りで終わってしまい、カロリー過多での不要な脂肪のような存在になってしまうかもしれません。
ちょうど不要な脂肪が健康を害するように、場合によって使わない知識は、その人を単に知識を持った行動の伴わない批評家にしてしまい、成長を阻害する原因になるかもしれません。
「知っていること」と「実行すること」は根本的に違います。
自らの成長のためにも(知識太りしないためにも)、獲得した新しい知識や知見は、いろいろな場面で試し、行動に反映していきたいものです。
インターネットや携帯電話が世の中に普及して約20年が経過。
私たちの生活スタイルや仕事の仕方も大きく変わり、便利な世の中になりました。
そのような環境の中、皆さんも次のようなことを、一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
・携帯やスマホを忘れて家を出ると落ち着かなくなる。
・電池(バッテリー)が少なくなってくると不安になる。
・ネットが繋がらない環境に行くとそこはかとない疎外感を感じる。
これらのことは、私たちにとってインターネットが身近な存在であるが故に感じる経験です。
そして、良くも悪くも気づかずに、インターネットやパソコン中心の生活になっていることの現れです。
・分からないことがあってもインターネットで検索をすればすぐに答えが出てくる。
・他者とのコミュニケーションの手段がメールやSNSになってきている。
・文字を「書く」という行為から、文字を「打つ」という行為にシフトしてきている。
・文字を打てば、漢字変換が容易に出来たり、次に打とうとする文字が予測変換される。
・電車に乗っている時や歩いている時にも、携帯やスマホの画面に向き合っている。
これら一つ一つは本当に素晴らしい機能ですが、その「付き合い方」について考えさせられることがあります。
自分で考えてアウトプットすることを、外部(インターネットやパソコン)に依存しすぎると、そもそもで自分自身が考えなくなってしまう、もしくは考える力が弱まってしまうのではないかと思うからです。
例えばそれが仕事に現れると、自分から動かずに、ひたすら指示待ちの状態になってしまったり、自分の意見や考えを持たないまま「どうしたらいいでしょうか?」と相手に判断を委ねてしまったり、指示を受けても、具体的な進め方までキチンと説明をしてもらわないと動くことができなかったり、といったことが起きます。
つまり「自ら考えること」を放棄してしまい、全てを相手に依存してしまうという状況になってしまいます。
また、これらの反応が、無意識の中で起きてしまっているという部分も、非常に怖いものがあります。
そうならないようにするためにも、日々「自分の頭で考える」という「クセ」を付けることが大切。
その方法はいろいろあるかとは思いますが、例えばたまには「アナログ的」な生活をしてみることも一つかなと思います。
・携帯を持たずに街に出て見たり、友人と待ち合わせをしたりしてみる。
・インターネットを使わないで何かを調べてみる。
・普段メールやSNSでしかやり取りしていない人と、直接の対話をする機会を増やしてみる。
・メモをとってみる、手書きで文章を書いてみる。
・電車に乗って外を眺めてみたり、周囲の景色を見ながら歩いてみる。
そんなことを敢えてやってみると、実はものすごく頭を使ったり、深く考えたり、普段では気づかないような新たなことに、気づいたりすることも多いのではないでしょうか。
最近、子供をキャンプに連れて行く親が増えていると聞きます。
これは親が子供に、『考える力』を身に着けさせたいと思っている証拠かもしれませんね。
斧で薪を割り、火おこしをして、飯ごうでお米を炊いてカレーを作る、そして自分たちでテントを張って寝袋に入って寝る…。
こういう経験を通じて、子供たちも自然の雄大さや、エネルギーや資源の大事さ、チームワークなどに気づき、自分たちが普段どれだけ恵まれた環境で過ごしているかを感じられると思います。
最近、私も時々ではありますが、意識的に「アナログ人間」になるように心がけています。
インターネットを一日やらないで過ごす日をつくってみたり、休日などでの外出時にスマホを持たないで出掛けてみたり。
確かに不便だなあと感じることもありますが、その一方で何か新鮮な気持ちになったり、情報を集めるために色々と考えたり、試行錯誤している自分がいることに気付きます。
思えば20年位前はそれが当たり前だったのですが(笑)
過去のある瞬間からそうなったのではなく、いつの間にかそうなっていくのですね…怖いです。
いわゆる「アナログ」と「デジタル」の良さをそれぞれ理解し、活用していくことの大切さは、私たちの会社の行動指針にもある「品質」と「効率」、「情熱」と「論理」の両立にも繋がる部分があります。
時には敢えて「アナログ」に過ごすことで、「考えること」の価値を感じるのも大切なことではないでしょうか。